2012年3月14日水曜日

パナソニック社長交代の内幕 異例の続投か、それとも本命の昇格か

トップが入れ替わるかどうかの話によって、これからの製品の方向性も変化していくので注目したいです。
【ビジネスの裏側】パナソニックは、津賀一宏専務(55)が6月に社長に昇格し、大坪文雄社長(66)が会長に、中村邦夫会長(72)が相談役に退く人事を決めた。津賀専務は本流であるデジタル家電部門のトップを務め、次期社長として最有力視されていた順当な人事だ。だが、一時は中村会長と大坪社長の続投案も検討された。パナソニックのトップ人事の裏側に何があったのか。
“異例の続投”宣言
平成23年12月14日。東京都内で開かれたパナソニックの記者懇親会で、中村会長は手を下に向け業績が下降線のポーズを取りながら「会社がこれ(業績低迷)の間は辞められない」と、発言した。“続投宣言”と受け取れる内容に、取り囲んだ記者たちは驚いた。
大坪社長は6月で就任から丸6年。中村会長の社長在任期間と並び、9月には67歳になる。パナソニックは創業者の松下幸之助氏が66歳で社長を退任以降、過去に66歳を超えて社長を続けたケースがない。
来期も中村会長と大坪社長が続投すれば、同社としては“異例”の人事だ。このため、6月に大坪社長が会長に就き、中村会長が相談役に退くというのが当初からの既定路線だった。
しかし、中村会長が自らの続投に言及した昨年12月の段階では、超円高やテレビ事業の縮小などに伴うリストラ費用が膨らみ、24年3月期は約4200億円の連結最終赤字に陥ると見通していた。24年1月には、三洋電機とパナソニック電工との事業統合も控え、環境が大きく変化する。
このため、経験豊富な中村会長と大坪社長が続投し、経営環境が安定してから後継者にバトンを渡すという人事案が社内で検討されたもようだ。
過去最悪の最終赤字
事態が変化したのは2月3日。
「責任を痛感している」
大坪社長は同日行われた決算発表の席上、苦渋の表情を浮かべながらこう述べた。当初、24年3月期で見込んでいた4200億円の連結最終赤字が7800億円まで膨らみ、過去最悪となることを明らかにしたからだ。
歴史的な円高やサムスン電子といった韓国勢の攻勢などで、買収した三洋電機のリチウムイオン電池事業の採算が悪化。三洋の企業価値が下がり、資産として計上していた「のれん代」について2500億円もの損失処理を迫られたことが、最終赤字が膨らむ原因だ。
「新しいトップで、新たな歩みを進めるべきだ」(大坪社長)。中村会長と大坪社長は急激な業績悪化と経営環境の変化を受け、さらなる構造改革と新たな成長戦略を、若手リーダーに託すことを決断する。
2月上旬、大坪社長は津賀専務に社長昇格を伝えた。来期の役員人事案を大坪社長が報告すると、中村会長は「本当にご苦労さんだった」と声をかけた。
“本命”の社長昇格
55歳と、創業家以外では最年少での社長就任となる津賀専務。大阪大学の基礎工学部を卒業した技術系で、16年には47歳の若さで役員に就任するなど、早くから次世代のリーダーとして期待されてきた。
昨年4月には次期社長候補として、パナソニックの本流であるデジタル家電部門のトップに就任。大坪社長は「本質を見抜く力がある」と、津賀専務の能力を高く評価する。
しがらみにとらわれず、合理的な判断を下すことにも定評がある。「テレビ事業の赤字の垂れ流しは許されない」として、テレビ用プラズマパネルの最新鋭工場だった尼崎第3工場(兵庫県尼崎市)の稼働停止を進言したとされる。
「挑戦する強い気持ちを持って進んでいく」
2月28日の就任会見で津賀専務は、一段の改革に取り組む姿勢を強調した。
「破壊と創造」を掲げて業績不振からV字回復させた中村会長。松下電器産業からの社名変更や、パナソニック電工と三洋の完全子会社化など将来に向けての布石を打った大坪社長。歴代トップたちの“変革”を求めるDNAは、若いリーダーにも受け継がれている。