ユーチューブで何回か目にする事がありましたが、東北大震災の津波の様子には驚かされました。遠くからだとゆっくりとした動きでも、じわりじわりと家や車や逃げ遅れた人さえも映しているものもあり、カメラを撮影している人でさえも目の前の光景が信じられないという様子でした。
ビデオがとらえたリアルな災害
2011年の事件で誰もが忘れられないのは東日本大震災だろう。津波などで失われた命の尊さ、身近な人を失った無念さを思うと、今でも言葉が出ない。ご冥福をひたすら深く深く祈りたい気持ちになる。と同時に、被災された方々の一日も早い復興を心から願いたい。
昨年は災害を記録したビデオ映像について考えさせられる年であった。被災地を記録したビデオ映像というと、筆者の頭に思い浮かぶのが、1990年の長崎県・雲仙普賢岳の火砕流を撮影した報道ビデオである。被災して焼けただれたアナログ記録のベータカム(報道用ビデオカメラ)からビデオテープを抜き出し、ダメージの少ない箇所をつなぎ合わせて蘇生された映像には、火砕流に呑まれていく村と報道カメラマンの状況が生々しく記録されていた。それは進行する災害を時間軸でとらえたリアルな記録であった。
今回の震災では多くのデジタルビデオが稼働した
そうした以前の災害記録と、今回の東日本大震災で撮られたビデオとの間には大きな違いがある。それは今回の大震災では、アマチュアによって数多くのデジタルビデオが各地で撮影されたことだ。
今回の震災は、デジタルAVネット時代が初めて遭遇した大災害と言える。日本ではデジタルビデオカメラはもちろん、多くのデジカメにもハイビジョンムービー機能が普及し、さらに携帯電話やスマートフォンでも手軽にビデオ撮影ができるようになった。また、ビデオ記録は傷つきやすいテープではなく、比較的堅牢でコンパクトなメモリーカードに録画可能になった。
こうした背景もあって、東日本大震災では多くの被災者が巨大津波の実際をムービーに収めている。東北各地で撮られたビデオの数は多く、中にはハイビジョンで長時間録画された映像もあった。それら災害ビデオを見た時の衝撃は一生忘れられない。多くのビデオが想像を絶する津波の来襲を被災者の目線で記録していたのだ。
津波から避難する最中に撮られた動画には、生と死を分つ緊迫した状況が生々しく記録されていた。
津波の襲来によって日常の街が崩壊し、濁流に呑まれてゆく一部始終が録画されたビデオを見ると、これは本当に現実なのか!?……と今でも目を疑ってしまう。
高台からハイビジョン撮影されたビデオには、津波に押し流される市街が精細に記録されていた。そのディテールを拡大すると津波が流れ込む経路や、避難する人々の行動までが分かる。そこで多くの方々が命を落としていることを考えると、いたたまれない気持ちになるが、震災の実態をここまで高解像度で記録したビデオは今回が初めてだろう。そこから読み取れる事実は多い。
こうして数多くの動画が撮られたのは、ビデオ文化が普及した日本ならではと言えそうだ。極限状況の中でビデオを撮った撮影者の“記録する意志”に敬意を表したい。
どの動画も地震科学や防災の貴重な記録であり、津波被害の甚大さと悲惨さを語り継ぐためにも貴重な記録と言える。災害を早く忘れたいという気持ちもよく理解できるが、私たちはこれらの記録を丁寧に分析し保管する必要があるだろう。また、今後は復興の現状を伝えるためにもビデオは有効だと思う。
ネット動画で震災が世界に伝わった
これらの災害ビデオはネットの動画サイトにアップロードされ、世界中に公開された。中には興味本位のアクセスもあっただろうが、世界中の人々に津波被害の甚大さと日本が置かれた状況をリアルに伝えたことは間違いない。放送局の編集チェックなしに、ここまで多くの災害映像が世界に公開されたのは初めてのことだろう。世界中から日本への支援が届いたのも、これらのビデオがあったからこそ、と言えそうだ。
見えるものと、見えないもの
デジタルビデオとネットの普及で、映像発信の自由化が大きく進展し、今まで隠されていたベールが取り払われて“見えるもの”が多くなった。私たちは多くの映像を共有することで事件を多角的に見聞きして意見交換できるようになった。中東などで起こった民主化運動でもソーシャルネットワーク上の画像が大きな役割を果たしたと思われる。
しかし、こうしたビジュアルな時代にあっても、依然として“見えないもの“も多い。東日本大震災でいえば、見えなかったのは「メルトスルー」した原子炉と、それを取り巻く状況だろう。“見えるもの”が多くなった時代だからこそ、私たちはその背後で進展する“見えない事象”にも深く注意する必要があると思う。
スマートフォンなどと連携できるテレビが普及すれば、家庭内ではDLNA(家電AVネットワーク)、世界とはクラウドなどを利用してAV情報を交換できるようになる。普及のカギはAV機能を生かすアプリケーションにありそうだ。ソフトウエアが充実すれば、2012年はデジタルAVネットワークが生活に定着する年になるだろう。デジタルAVが震災によって失われた人と人や、人と物との関係を新しく復興するためのメディアとなることを願っている。